自由を求めて

皆さん、こんばんは!

 

人生楽しんでますか?

 

楽しんでる人も、楽しめてない人も、頑張れ!

 

尚平です!!

 

自由に生きるって難しいですよね。自分の力不足で飛べない鳥のように翼がもがれてしまう事もあり、何とか他者からの束縛を受けずに過ごしたいですが、難しいです。

 

僕は、散々自由を享受してきました。割と内外不和でしたが、それなりに自由で快適な精神状態でした。一人で居ることが好きでした。

 

しかし、今は一人ぼっちを感じない代わりに他者(幻聴など)からの追随をよぎなくされています。

 

社会に上手く溶け込めない僕を嘲笑うかのような幻聴は、本当に厄介です。自分の人生くらい自分で選びたいものです。しかし、現実は実力不足で孤立無援、孤独を感じる事も多いです。

 

自由でいるのも楽ではありません。自由と不自由は表裏一体なので、自由を感じる時は不自由もセットでついてきます。例えば、時間と言う概念から逃れる為時計を見ないようにするとします。最初は、自分は時間に縛られずやりたいことが出来ている、自由だ!と思うかもしれません。しかし、実際は時間が分からない事で無計画さが目立ち、なかなかやりたいことを達成する事が出来ません。つまり、これは自由を手に入れて不自由も手にしてしまった。そういう事ではないでしょうか?

 

つまり、自由を求めるには、ある程度の不自由さも覚悟していかなければなりません。しかし、完全な自由がないからと将来を悲観する事はありません。未来はいくらでも塗り替える事が可能だからです。明るい未来を頭の中で描き、実現していく。それは、難しい事なのでしょうか?あなたにほんの少しの勇気と思慮があるなら、思い切って自分の殻を壊し、外の世界へと出てみてはいかがでしょうか?きっとあなたの知らない世界があなたを待っています。飛べないなら、歩けば良いんです。夢を叶えて、幸せになりましょう。

 

今日は短いですが、この辺で

 

では、さいなら〜

 

追記

 

僕がおすすめするバンドの代表曲です。良かったら聞いて下さい。

The Pillows LOSTMAN GO TO BUDOKAN Live #23 Hybrid Rainbow - YouTube

 

 

気まぐれな運命

どうも、皆さんこんばんは。

 

今日はローテンションでいきます。

 

ハイテンションでいられる元気はありません。

 

尚平です。

 

僕は、とても気分屋です。気まぐれでコロコロ考えや態度が変わります。あまり表に出しませんが、内心はとてもせっかちで短気で自惚れ屋です。

 

感情表現があまり得意ではなく、無意識と潜在意識のギャップに苦悩しています。なかなか他人に心を許すことができません。難しい難題ですね。

 

気まぐれな運命、そんな事もあるでしょう。気まぐれな心が導き出した、暗闇を照らす光。その光の先には何があるんだろう?その危うい好奇心と冒険心で僕らは道を切り開いていきます。その選択に間違いがなければ、きっと僕らは成長出来る事でしょう。

 

僕は間違いだらけです。何も変わらず、変えられずに身動きも取れず。そんな日々です。

 

自分を変える、そのことはとても抵抗があります。誰だって他者の言いなりにはなりたくありません。自分に自信があれば、自分ひとりの力で道を切り開いていきたい、そう思うでしょう。他人に従うのが嫌な理由として、僕は気が小さく弱い人間であるという事があります。本当は誰とも争いたくないし、誰からも嫌われたくありません。しかし、現実は誰かと争って勝たないと他者の言いなりの奴隷になるしかないからです。勝者なら、自立した道を選び、自分をポジティブな意味合いで変えていけるでしょう。でも、負け犬は誰かの言いなりの奴隷になるように調教されてしまいます。尻尾を振って、ワンワン吠えなければなりません。もはやそこに人権はありません。負けたら終わりなんです。

 

それが、僕が最近気付いた、と言うか、薄々と気付いていたけど言葉に直してこなかった思いです。世の中には、弱いものに牙を剥き、強いものに追従するアホがいます。そんなアホは、自らの弱さを自覚しておきながら、自分のやり方を変える事が出来ません。正義のヒーローなら、強い人間になるために精一杯頑張り、誰からも愛される救世主として一目置かれるでしょう。

 

しかし、アホに誇りはありません。卑怯で汚いやり方で人の足を引っ張り、自らの人格を下げています。僕はそんなアホが嫌いです。しかし、自分もそのアホと似た部類であると感じる時があります。要するに、臆病なんですよね。誰かと戦い、負けるのが怖くて、いつもぶつかりあう事を避けて逃げ続けています。

 

しかし、逃げる方が辛い道になる事もあります。戦い方もわからないけど、何とか目の前にある難題とぶつかっていかなくてはならない時もあります。そんな時にいつも正しい選択が出来る訳ではありません。僕も人間なので、間違う事の方が圧倒的に多いです。

 

運命を操るってとても難しいことです。僕は神ではないので、未来を予測したり、人の心をつかめる訳でもありません。何度騙されても懲りません、馬鹿な男です。

 

気まぐれな性格を何とかしないと、この先生きていくのは厳しいでしょう。

 

皆さんも計画性を身につけて、先を読める人間になってください。僕もやれるだけの事はやってみようかと思います。綺麗事で塗り固めた妄想で出来た鎧を脱いで、一皮向けた人間になってみたいです。

 

皆さんも、先の見えない不安や迷いに縛られそうになるかもしれませんが、心を強く持って、「自分なら出来る!きっと出来る!」と望み続けてみてください。何か変わるきっかけが掴めるかもしれません。僕も意識的にポジティブになれるよう工夫していきたいと思います。

 

では、今日はこの辺で

 

さいなら〜

どんなに今が嵐の中でも

どうも、こんばんは〜

 

2日ぶりのブログ記事更新です。

 

サボってた訳じゃないのよ、ちゃんと体調不良と言う理由があってだな。

 

とまあ、そんな言い訳しても虚しいね。はいそうです、更新が面倒でした。

 

尚平です。

 

ここ最近の僕は、精神的に余裕がない日々が続いています。

 

まず、朝起きれない。起きたとしても、いつも遅刻ギリギリ。夜はなかなか寝付けないってのもありますが、病状が悪化してると言うのもあります。幻聴に責められるのは、物凄くストレスになります。もう一体どうすればいいのか、分からないまま、迷いながら何とか生きています。

 

タイトルのどんなに今が嵐の中でも、と言う言葉に深い意味はないのですが、現実を日々乗り越えるには相当なエネルギーが必要だと思います。毎日変わらない地獄を味わっている人を応援したい、そう思います。だから、どんなに今が嵐の中でも皆さんには生き抜いてほしい。そう願っています。

 

嵐と言う表現は現実の表面ではなく、人間の内面、心理状態を指しています。健常者も障害者も現実と戦っています。夢を見る、ただそれだけで心は傷だらけになります。目標に到達したい、そう願えば願うほど叶わぬ苦痛に苛まれてしまうのです。

 

人間関係、仕事、将来への不安、忘れられない過去、人には沢山のストレス要因があり、どちらを注視するかによって、今見える景色は変わっていきます。見たくないもの、やりたくない事、それは人それぞれです。

 

ストレスも今まで自分が積み重ねてきたヒストリーだと考えれば、崩して壊す方法もわかるはずです。全て投げ出す事も可能ですが、やはり後悔しないようよく考えねばなりません。

 

心が傷つかなければ、痛みを知らなければ幸せ、だとは僕は思いません。失いたくないものがあれば、きっと心は傷だらけになります。迷っている暇も考えている暇もない、そういった人もいるでしょう。そんな時は、とりあえず行けるとこまで行こう、それくらいの心持ちで良いと思います。僕はカウンセラーではないので、断言は出来ませんが、生き抜くための心構えくらいなら皆さんにご提案出来るかと思います。あくまで一意見ですので、鵜呑みにせず、参考にする程度にしていただきたいです。

 

高い目標を掲げるのも素晴らしい事です。しかし、あまりにも非現実的な願望は叶わないどころか自らの精神を壊しかねません。気をつけましょう。

 

嵐の中、雨に打たれ、風に吹かれ、何もかも吹き飛ばされ失うこともあるかもしれません。そんな時は、自分の身ひとつ救われたなら良いことだと思いましょう。許したフリなんてしなくていい、ただ、生きましょう。僕の言葉に効き目がある内はここで伝え続けるので、皆さんも心を守ってください。あなたの心が全てを許して、天に召されるまで僕が側にいます。共に厄介な人生を歩んでいきましょう!!

 

では、今日はこの辺で

 

さいなら〜

 

追記

 

最近はミスチルの花の匂いをよく聴いてます。人間の切なさや儚さ、失ったものを憂い、淡い希望を持つことを力強いサウンドとメッセージで伝えています。良かったら聴いてください。

https://youtu.be/6BsZ1d9UE5I?si=TEh7SPAcPmVxsAw5

 

楽しいことを考えよう

皆さん、こんばんは!

 

昨日は疲労困憊でブログ記事かけなくてすみませんでした。

 

今日も眠いですが、頑張って書きますね。

 

尚平です!

 

昨日は、姉と「名探偵コナン100万ドルの五稜星(みちしるべ)」という映画を観に行ってきました。コナンシリーズ史上一番難解な事件だなと思いました。犯人が全く見当がつきませんでした。ネタバレになるので、これ以上の報告はやめにしときます。

 

いやー、でも、アニメらしい演出もあって、大変面白かったです。aikoさんの相思相愛と言うエンディング曲も良かった!

 

とまあ、楽しんだ後は、睡魔がどっと襲ってきて自室のベッドでバタンキュー。あまりにも眠すぎて、仮眠を取ってしまいました。

 

夜に目が覚めて、風呂に入ろうとするとき、幻覚妄想が現れて、「何もしていない(お前は)」みたいな言葉が聞こえてきてしまったのです。僕は大変深く傷つき、悩みました。確かに疲れてほとんど何もせずに寝て起きてしまったけど、事業所には頑張って行ったし、今日はスケジュール的に出来る事は殆どないと考えていたので、元々なにかする予定はなかったのです。それなのに、僕の行動や思考をあざ笑うかのような幻聴が聞こえてきて、大変苦しみました。

 

幻聴の言う事はシカトしろ、言うことを聞くなと主治医からは言われていたので、主治医を言い訳にしてなんとか責任回避しましたが、こういった幻聴が聞こえてくると、毎回ではありませんが成す術なく自分を責めてしまうのです。

 

自分が無能だから悪い、自分が馬鹿だから、自分が自分が、、、、みたいな感じで負のループに陥ってしまうのです。もちろん、悩んでる間は楽しくないし苦しいことばかりです。昨日も風呂の中ずっとぐるぐると悩んでました。気が狂いそうな時間でした。

 

幻聴は意地が悪いので、自分が言われたくない事ばかり突いてきます。人を傷つける事に何の抵抗もないのです。良心の呵責もなく、ただただ人の不幸を面白がるかのような嘲笑を続けてくるので、毎回怒りが爆発しそうになるのを必死になだめています。

 

こんなにも苦しいなら、いっそ消えた方が、、、、なんて考えが頭をよぎります。希死念慮と言うやつですね。病気の人が症状によって本来の自分の意思とは反した願望(自殺願望)を持つことを言います。僕は普段は冷静に過ごしているのですが、幻聴が聞こえてくると、極稀に希死念慮に襲われる事があります。極稀なので大丈夫、ではないのです。

基本的にスタートである価値観が、自分は無価値だ、死んだほうがいい人間だ、と言う厭世観から始まっているので、幻聴に弱点を突かれるだけで絶望的な気持ちになります。心が繊細なのです。自分で言うのもなんですが、かなりメンタルは弱い方だと思います。誰かの些細な一言が忘れられなかったり、傷ついて夜なかなか眠れなかったり様々です。残念ですが、心は強くならないまま大人になってしまいました。傷つく度に自分の無力さに嫌気がさします。

 

そこで、病気になった時から僕が心がけていることがあります。

 

それは、なるべくポジティブでいよう!と言うことです。

 

僕は病気になる前から物凄くマイナス思考な人間でした。ほぼ毎日死にたい、死にたいと鬱々と考え、高校生の頃に些細な事で学校に行けなくなった時は、もういっそこの世界から消え去って存在を無かった事にしたい。親に申し訳ない、とぐるぐると考えてしまう人間でした。

 

でも、やはりそんなマイナス思考な人間の周りに人が寄ってくるはずもなく、僕はいつも孤独でした。

 

でも、考えました。

 

ポジティブに生きて人生を楽しんだ者が最終的に勝利するのではないか?と

 

そこで、僕はなるべく考えを変えてみようと思いました。

 

誰かに嫌われてるかも?傷つけてしまったんじゃ?誤解を与えてしまったんじゃないか?と最初はあれこれ考えましたが、結局細かい事に気づくのって、見栄を張りたいだけなんですよね。確かに、人から愛される事も素晴らしい事だし、誇るべき長所になりえます。でも、そんな繊細過ぎる生き方は自分の負担になりますし、何より自信過剰です。人間誰しも配慮が行き届かなかったり、要らぬ誤解を与えてしまう事もあります。そこで、完全無欠の完璧で理想的な人間像を求めるあまり、自分自身が重い重責を担い苦しむのは、本末転倒です。

 

人間ならもっと自由に生きてみて良いと思います。人に気を使いすぎて傷だらけになるよりは、もっとのびのびと自由に生きてみたい。僕ならそう考えます。今直ぐにやり方を変えるなんてそもそも無理な話です。理想を他人に押し付けない、それも大事です。

 

病気になって分かった事がありますが、働きたくても働けない人がいると言う事。病気の影響で本来発揮出来たはずの自分の能力を最大限に活かせない人が居ると言うことです。

 

僕は別に頭が特に良いと言う訳ではありませんが、向上心は人並みに持っていたと過去を回想してそう思います。ですが、障害者になると、よくあることかもしれませんが、差別や偏見に苦しめられる事も多いです。誹謗中傷を受けたり、理不尽で不当な扱いを受ける事もしばしば。誰も望んで障害者になってしまった訳ではないのになあと思うのですが、世間は冷たいです。

 

でも、学生時代には感じなかった事を今は感じています。それは、どこの世界でも、人間は本当の意味で孤独になることはないんだなと言う事です。

 

孤独は誰だって辛いです。孤独でも平気だと言う人は、精神的に強い人なんでしょう。群れを嫌い、束縛を嫌う一匹狼タイプなら良いと思いますが、僕みたいに意気地がなく、依存心が強く、寂しがり屋の人間には孤独は辛いです。

 

でも、かといって虐められたり仲間外れにされたい訳でもなく。どこにも居場所がない、、、と思うこともあります。しかし、どんなに周りが敵だらけでも、嫌いな人だらけでも、ある意味その人達とも僕らはなんらかしかの縁が合って過ごしている。そう考えれば、些細な落ち度とか欠点も大目に見てあげよう!と言う優しい気持ちになります。

 

相変わらず、幻聴にはいじめられてばかりです。幻聴の嫌いなところは、コイツは皆から虐められてるから、自分が虐めても大して責められはしないだろう、、、と調子に乗ってる所です。人を何だと思っているんでしょうか?お前らのストレス解消の道具じゃねえんだよバカヤロー!!と心の中で叫んでます。

 

話がズレて申し訳ありません。

 

僕は一人になりたいと思うことがよくあります。病気の症状で部屋に盗聴器が仕掛けられている、監視されていると言う妄想があるので、僕にはプライバシーがありません。だからと言う訳ではありませんが、僕はどんなに孤独になりたい!と望んでもどう頑張っても孤独になれないのです。本当に辛いです。でも、たまに嬉しいと思う時もあります。幻聴も邪魔なだけじゃないんだなと。

 

話は戻りますが、僕は病気を発症して、自分と同じような事に苦しんでたり、悩んでる人を見つけました。その人達からも嫌われる事は多いですが、嫌われ者だからと言って生きててはいけないという決まりはどこにもありません。恨まれてたら命を脅かされる危険性はありますがね。僕は、その似た人たちに勝手に勇気づけられています。皆、歳を取る度に心に傷を負っていきます。癒せる傷もあれば、一生忘れられない深い傷を背負う事もあるでしょう。でも、そんな時でも、自分だけが貧乏くじを引いたと皆さんには思ってほしくないです。

 

出来ることなら、生きることを諦めず、必死に生きていてほしいです。

 

生きているだけで皆凄いです。頑張っているなら尚良し。

 

どちらにせよ、何かしら前向きに頑張ってないと人は生きていけません。ある人は親のスネをかじり、ある人は生活保護を不正受給し、ある人は犯罪を犯して刑務所に服役している人もいるでしょう。極論を言ってしまえば、それでもいいと僕は思います。自分が生き残る為に最大限頑張るのが、動物としての本能です。ただただ皆さんには生き抜いて欲しい。

 

そこで大事なのが、困った時は誰かに助けを求める事。これは人によりますが、僕は悩み事や隠し事を長期間出来るタイプではないので、誰かしらに真実を話しています。

 

次に大事なのは、親を大事にすること。親ガチャとか巷では言われていますが、こういった差別は僕は嫌いです。親が僕にとって一番の理解者であった事もあり、僕は親に感謝しています。親にこの気持ちは届いているのかわかりませんが、僕は親を大事にして、共に支え合い、生きていきたいと考えています。

 

最後に大事なのは、好奇心やチャレンジ精神を忘れない事。何事も学びがあり、何事も挑戦する価値がある。そう信じて頑張っている人はとても輝いて見えますし、何より人として尊敬出来ます。言葉が不器用になる事もありますが、僕はそういった人たちを支持したいです。

 

楽しい事を考えられない、そう考えてしまう人もいるでしょう。それもしょうがないです。あまり明るくない時代ですからね。でも、そんな時代でも、自分の信念をブレずに突き通せばいいのです。僕も長々と文章を綴っていますが、マイナス思考が必ずしも悪い事ではないと考えています。あれこれ先の事を考えるから、未来で失敗せず、恥をかく醜態を晒さずに済んでいるのかもしれませんしね。悪いことばかりではないです。

 

あくまで一意見なのですが、と言うか僕の都合で考えさせてもらうと、やはり楽しい事を考えて生きてみたいと言うのが本音です。

 

悲しい事はこの世界では尽きません。止まない雨もあるし、戦争もいつ起きるかわかりません。そんな不安定な世界で生き残る事、それが僕のテーマです。命をかけてこの世界を守る!!という大それた野望はありません。ただただ前向きに生きて、最期はポックリ死にたい。そういった普通の人生に強く憧れます。

 

楽しいこと、それは人によってそれぞれだと思います。多様性の時代ですから、皆前向きに認めあえたら良いのではないでしょうか?僕は、人を認めて、許して、笑い合う。そんな日常を送りたいと常日頃から願っています。

 

長くなりましたが、ここでお開きにします。

 

皆さんも自分自身を信じてください。自分という人間しかあなたを救ってくれる人はいないのですから。

 

では、さいなら〜

 

 

 

 

 

 

 

暑いよね

暑いよね、そうだよね、そうなんだよね。

 

こんばんは。

 

尚平です。

 

暑いです。先週までは蒸し暑く、でも肌寒く体温調節に困ってましたが、昨日からはずば抜けて暑いです。もう夏なんですかね?暑すぎる。

 

来週も気温が高く、東京は20度超えの予報です。そろそろ半袖が必要になってきますね。

 

僕は、先月までは春なのに寒かったので、布団と毛布を計2枚重ねてベッドで眠ってました。しかし、今日のような暑さのときは、毛布はかけてられません。暑くて汗かいてしまいます。

 

まあ、しかし、やっと春らしくなってきました。至る所にある公園では桜が満開になり、美しい景色を眺める事が出来ます。

 

僕はインドア派なので滅多に外には出ないのですが、用事があって外出てる時とか、早朝散歩で外に出てる時なんかは桜を見て喜んでいます。

 

僕は暑いのが苦手なので、今年も苦しい思いをすることになりそうですが、何とか日々を乗り越えていきたいです。

 

今日は短いですがここまでとします。

 

皆さんも季節の変わり目で体調を崩さぬよう、水分補給などしっかりして暑さ対策をしてみてください。僕はお茶をがぶ飲みしてます。爽健美茶が美味しいです。

 

では、明日も無理せず少しずつ進んでいきましょう!

 

さいなら〜

 

 

 

 

歪んだ自尊心

皆さん、こんばんは。

 

さすがにこの時間帯になると、テンションが下がります。

 

尚平です。

 

僕は今、罪悪感や自尊心についてネットで調べていました。罪悪感は簡単に言うと、社会的・道徳的に非難されるべきことを犯したという意識ないし感情を指します。そして、自尊心とは、心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度である、とされています。(Wikipedia参照)

 

僕は子供の頃から自尊心が高く、自己愛が強い性格でした。

 

勝負事に負けても敗北を認めなかったり、人を平気で騙したり利用する最低の人間でした。生まれつき性格がとても悪かったのです。

 

こんな事を言うと「何でそんな自虐的なの?」と思われるかもしれませんが、やはり、過去の出来事が尾を引いています。

 

詳細は言えませんが、僕は人を傷つけても素直に謝罪出来ない人間だったのです。今でも後悔していますが、対人関係ではトラブルが多く、自分が悪いと感じていても罪の意識を見て見ぬふりして逃げ続けました。今では、嫌なことから逃げるのが当たり前で、自分はこの社会とは隔離された存在だと開き直り、困難から目を背けてばかりです。

 

どうして自分はこんな弱虫なんだろう?そう思うこともしばしば。昔はそんな弱くて醜い自分が大嫌いでした。平気で人を見下し、自分はこんなもんじゃない!と根拠もなく強がり、人を傷つける事を悔やむことなく毎日過ごしていました。

 

大人になった今は、分別がつくので、人を傷つける事の愚かさや罪深さは重々理解しているつもりです。学生時代はそんな自分の行為に罪悪感を感じていたこともあり、人との関わりを避けていました。自分がでしゃばらなければ、誰も傷つかない、嫌われる事もない、そう考えていました。

 

でも、今となってはそれはただの都合の良い言い逃れでしかなかったと後悔しています。学生時代は交友関係が狭く、人との付き合いも無かったため心が傷つく事もほとんどなかったけど、大人になった今にそのしわ寄せが来ています。

 

傷つかなかった過去の代わりに、今の人間関係で悩むことも多く大変苦労しています。

 

心の奥底に封じ込めた自分の卑屈さが、表に出そうになる事もあり、ありのままの自分を人に見せる事ができないのです。

 

歪んだ自尊心は、妄想で塗り固めた虚像です。優れていないのに優れていると思い込み、容姿端麗でもないのに自分は格好良いと勘違いして、人に冷たいのに自分は優しい人間だと思いこんでいます。

 

健全な自尊心を育む為には今まで築き上げてしまった歪んだ自尊心を立て直す必要があります。人から批判されて憤るのではなく、欠点を指摘して間違いを正そうとしてくれてる事に気づき、感謝しなければなりません。

 

まともな人間関係を築けない自分がとても恥ずかしいです。

 

ネガティブな話題ばかりで申し訳ないです。でも、それだけデリケートな問題で、闇も深いのです。

 

誰だって消したい過去の一つや二つはあると思います。僕もそうです。出来ることなら過去に戻って、人生やり直したいです。まあ、根が自惚れが強い僕ですから自分自身の意見ですら無視すると思いますが。

 

僕は、人間としてはまだまだ未熟です。セルフヘルプも頑張らなくてはなりません。何とかこの歪んだ自尊心を矯正していき、自分の進むべき道へと進んでいきたいです。

 

皆さんも日々辛いことや悩むことも沢山あると思います。真面目に生きてれば誰だって壁にぶち当たります。それでも、自分という全存在をかけて戦ってみたい。僕はそう思います。願いが叶うかなんてやってみなければわからないです。臆病な自分を奮い立たせて、僕も日常の壁にトライしていきたいです。お互いに明日を目指して頑張っていきましょう!!

 

それでは、今日もこの辺で。

 

さいなら〜

 

 

 

 

燃え尽きて灰になる

どうも!おはようございます!

 

朝っぱらから元気ですみません!!

 

尚平です。

 

昨日は、あまりにも長文で言い訳がましいブログ書いてすみませんでした!

 

僕みたいに努力が嫌いで絶対にしたくない、必要ないと考えている人には共感してもらえる内容ではあるかな?と思いますが、前向きに日々精進している人にとっては不快な記事だったかもしれません。大いに反省しております。

 

今日は、割と短めに済まそうかと思いますのでご安心を。

 

Xのフォロワーさんなら分かってくれると思うのですが、やはり精神疾患発達障害を抱えながら生きる人生はとても辛く険しい道のりです。

 

まず、健常者とは能力面でだいぶ遅れをとっており、劣等感が半端ないです。できる事も限られてきます。僕は障害等級は2級で、割と症状が重いタイプです。

 

友達もほとんど居ないし、彼女いない歴年齢です。

 

そんな僕が生きることを諦めないでいるのは、やはり人との絆を確かめたいと言うのもあります。どんなに世間や社会が冷たくても、どこかに僕の事を理解してくれる人はいるはず。その希望を捨てたくはありません。何より、障害に負けたくないと言う強い気持ちもあります。

 

燃え尽きて灰になる。命を輝かせて、日々前進あるのみ。一歩も前に進めない時でも、自分を信じ続けたい。自分だけは自分の最大の理解者であり、決して見捨てない味方でありたい。そう考えています。

 

それに、この世界も愛そうと思えば愛せるはずです。美しい景色を眺めるだけでも、心は洗われます。自分というちっぽけな存在でも、己のフィルターが汚れてなければ、美しいものを美しいと認識出来れば、それなりに人生は楽しいです。

 

美味しい食べ物を食べるとか、旅行に出かけて美しい景色を見るとか、本を読んで新たな世界を目撃するとかね。

 

今の世の中はとても便利です。都会は闇も深いけど、それなりに人生を楽しくするヒントがあちこちに転がっています。

 

障害者でも自分らしく生きれるよう、福祉も充実しています。健常者と自分を比べなければいいのです。他人と争うよりも、僕は自分に勝ちたい。そう思います。

 

人生は長いようで一瞬の出来事のような気がします。今生きている、その幸せを噛み締めていたいです。

 

何とか1000字以内に書き終えられました。ここまで読んでくださりありがとうございます。また夕方にでもブログ更新するかもなので、そのときはよろしくお願いします。

 

では、さいなら〜