氷のような愛

俺は今、氷のような愛に悶えている。

 

俺が水なら、君は氷。

 

俺を冷やしてくれる君は、紛れもない俺の体積だ。

 

キンキンに冷えた水を、夏という険しい季節に飲み干したい。

 

氷のない水は、自然と夏の暑さの魔法でぬるま湯になってしまう。

 

だから、君という氷で俺を冷やしてほしい。

 

ぬるま湯と冷えた水では、体感温度も違うし、美味しさも違う。

 

まだ夏はもう少し先だけど、やはり、俺は冷えた水が好きだ。

 

氷は水のカサを増やしてくれるから、少し量が多くなった気がする。氷が溶けたりして無くなれば、そこにあったはずの氷という物体の存在した証みたいなものは、その氷が入っていた水しか知らない。

 

氷と水は一心同体なんだ。

 

水を凍らせて作った氷と、ペットボトルに入れられた水は、2つ合わせて初めて意味を持つ。そう、孤独を埋めるような、更に孤独に浸るような感覚がこの両者には有ると思う。

 

愛もきっとそんなもんなんじゃないかな?

 

愛されているときは、その愛は氷のように冷たく、傍から見たら体積が増えて良いことのように思える。でも、自分を冷やしてくれる貴重な氷も、その水が置かれている環境や状況によるけど、やはり時間が経てば消えて無くなる。

 

愛されているような、自分の中で何かが変わり始めているような感覚を、きっと水は味わえるだろうけど、確かな手触りは次第に薄れ、残るのは、思い出のように身体に残る静かで冷たい体温だけ。

 

愛って、きっと愛されているときには、その本当の価値は分からなくて、愛を失い路頭に迷っているときに初めて「ああ、俺って愛されていたんだな」と気づくものだと思う。

 

愛されていることは、きっとどう頑張っても知覚出来ない。

 

頭でも心でも身体でもない、きっと魂のずっと奥の底のような場所で初めて動き出すものなのかも。

 

愛が消えた....と嘆いていても、俺に愛は戻ってこない。君という氷が溶けるまで、俺は君と溶けていたい。ロマンティックなことを言ってしまい、柄じゃないなと反省している。

 

きっと、2人なら孤独を越えられる。

 

信じよう、君と2人で

 

生きていこう。