自分の心に問いかける。それは、簡単そうに見えて難しい。

 

例えば、なにもない道で転んだとする。それはおそらく考え事をしていたか、歩き方に問題があるか何かして、起きてしまった事だとする。そういう時は、反省して、次からは気をつけようとするだろう。

 

でも、心が転んだり、傷ついたりすると、なかなか立ち直れない。

 

僕だけかもしれないが、一度受けた傷や痛みは長く引きずってしまう。傷つけた相手を恨むこともある。でも、それは長く続かない。

 

考えたくないのだ。自分の心の貧しさで醜く汚れていく様を自分が目撃したくない。自分を嫌いになりたくないからだ。

 

誰かしら欠点というものはあるだろう。そこで、その欠点をどう修正していくか?それが最重要課題なのかもしれない。なるべく、人様からは良く思われたい。沢山の人に認めて欲しい。そう考えているから、なかなか自分に欠点がある、ということを直視出来ずにいる。

 

きっと、自分の欠点、嫌いな部分を見つめ続けるのは、なかなか大変だと思う。僕だってなるべくしたくない。でも、そこから逃げていても、何も変わらない。

 

人はそう簡単には変わらないけど、今の暮らしから抜け出してしまいたい...自由が欲しい、そう考えたら、いてもたっても居られない。

 

今すぐ変わりたい、今すぐ認めて欲しい。ひたすら劣等感に苛まれて、息もできないくらい追い詰められる毎日はもう嫌だ。

 

僕は、統合失調症という病気の影響で、毎日のように欠点を突かれる。その時は、はいはいと受け流すけど、しばらくすると、「ああ、また言われたよ。傷つくなあ...」と思う。

 

本当に変わりたいなら、今すぐ行動に移した方が良いのかもしれない。こんな誰も見ていないブログを書いて、一喜一憂して、何事もなかったかのように日常に戻る。

 

それは、とても無駄なことのように思える。

 

でも、明日のこともわからない、先の見通しが立たない以上、自分の遺書ではないけど、生きた痕跡を残したいと思うのは、当然だと思う。

 

少なくとも、僕は、自分のことを知って欲しい。上手く表現出来ずに苦しんでばかりだけど、それでも、こんな僕がこの世にいたんだ、という事を誰かに知っていて欲しいだけなんだ。

 

記憶の片隅に置いておいて欲しい。

 

誰かが、もし僕の死後、このブログ記事に辿り着いて、見てくれるのだとしたら、このブログの存在にも価値があるはずだ。

 

心は脆く傷つきやすく扱いに困る。

 

だが、そこで慈しむことを止めてしまってはいけない。

 

戦争がないだけ幸せ。生きてるだけで幸せ。

 

ハードルを下げて、また、僕は走り出す。

 

ゴールを探して、いつまでも走り続ける。

 

答えはきっとどこかにある。

 

叶わぬ夢じゃない、まだまだこれから。

 

頑張ります。