戯言

幸せになりたい。

 

それは誰もが願う事。

 

最初から何から何まで揃っていても、満たされない。

 

それも人間。

 

違う境遇、違う人間。

 

その生き物がわかりあうのは、難しい。

 

何から何まで共有していったら良いのか、君の中に僕はいるの?僕の中に君はいたの?

 

そんな戯言を考えだしたら、己に喝を入れなければならない。

 

無駄な事を考えている時間はない。出来ない自分を認めよう、俺は偉くもないし強くもない。

 

でも、当たり前に生きている人間に与えられる人権を持っている。どんなに幻聴にプライバシーを侵害されても、それだけは変わらず主張し続けていたい。この魂は安売りしないし、そもそも売らない。

 

悲しいかな、人間はときに悪に染まる生き物だから、敵を作ったり、いじめに加担したりする。

 

そんな無情を嘆くことでしか、未来への糸口は掴めない。

 

だったら、悲しみに浸りきってやろう。悲しみの出どころを自分の過去の記憶を遡り照らし合わせて見つけ出すんだ。

 

愛している人に愛していると伝わるまで伝え続けて、いずれは君を俺の物にしたい。。。なんて言わないさ。俺は誰かを奪い取れるほど勇敢じゃないし、今も崖っぷちだ。心はいつも傷ついている。

 

悲しみを忘れない。悲劇を引き起こす悪魔はいつでも俺の頭上を狙っている。

 

悪魔を打ち倒す術はおそらくない。でも、戦わなくてはいけない。一生終わらないサドンデスゲーム。勝つまで、死ぬまで、戦う。戦争の引き金は俺らの悪意にある。

 

誰かを呪う前に自分を疑ってみる。自分を疑って、自分のせいじゃないのなら、次はミスをしない、危険を回避して生き延びる術を考えたい。

 

思慮が足りなかろうが、守りたいものがなかろうが、生きていくだけ。

 

それだけが、俺の信じる道だ。俺は誰も守らないし、救わない。

 

人の運命、生き死に、選択に口出しをするつもりはない。

 

自分の命くらい自分で守れ!と言えるなら言いたい。

 

少なくとも、自己管理は社会人として当たり前の常識なのだから、常識がなってない人につける薬はない。

 

まあ、頑張って。

 

俺は社会の底辺でコソコソ隠れながら生きます。

 

なんだかんだで、結構楽しいんだよね、この生き方が。

 

嫌なことを引きずるメリットがわからないから。

 

自己嫌悪に陥るメリットもわからない、人間誰しも完璧じゃないんだから少しのミスくらい大目に見てやれよ、と思う。それを他人に強要しなければ、あんたも生きてていいんじゃないかな?とも思う。

 

俺は何か出来る事はないか?常に自問自答している。考えているだけで、たまに実現不可能な妄想の類を思うこともあるけど、それでも自分を一番大切にのんびり生きている。

 

それが正しいと思うから。

 

怒りを引きずるメリットもわからない。許せば自分も他人も楽になるのに、何で怒るの?って思う。

 

他人を変えようとするメリットはわかる。

 

でも、好感度を上げたい人間なので、それはしない。嫌われる上、しつこいと攻撃されるリスクがあるから。

 

そうやって、戯言を書いてみた。

 

自分の考えを述べるには、まだ俺は未熟すぎる。

 

でも、自分の考えがしっかりしてないと、他人からは舐められる。

 

舐められるのはプライドが傷つくけど、それも致し方あるまい。

 

殺すわけにもいかないしね。

 

この病気になってから、人に怒る事が増えた。殺意も沸く。

 

でも、それでも人間と生きていた方が、幸せなんだ。

 

そんな事を言わざるを得ない現実を憂い、明日も生きていく。

 

明日も生きていく。