地獄でもいいじゃん

どうも、こんばんは!

 

今日も張り切っていきましょう!

 

尚平です。

 

ブログを再開してから約一週間が経ちました。相変わらず文章構成力の低いブログですみません。Xの方でもよく文章を書いて投稿するのですが、やはりブログの方が言いたい事もスラスラと出てきますし、何より充実感が違います。なるべく皆さんにとって有意義なひとときをこの文章から感じ取って欲しいと願いつつ、まだまだ発展途上なので大目に、そして温かい目で読んでいただけると助かります。

 

今日の東京は春なのに肌寒く、上着が必要な程度の体感でした。午後からは雨が降り、事業所から自宅まで帰る際は雨具が必要だったので、近くのコンビニで傘を購入。何とかずぶ濡れにならずに帰宅することが出来てホッとしています。

 

天気予報では晴れる予定だったのですがね、外れる事もあるんですね。びっくり!

 

そんなこんなで僕の日常は通り過ぎました。

 

僕は、普段から申し上げてます通り、精神疾患である「統合失調症」という病気を抱えています。聞こえるはずのない声が聞こえたり、幻覚・妄想などが表れてしまう病気です。あまりイメージがつかないかもしれませんが、人によって個人差があるので、症状は特定されてません。僕の場合は陽性症状という症状が強いです。要するに、被害妄想ですね。誰かの笑い声や悪口が、まるで自分が言われているかのような錯覚を引き起こします。そんなバカな、と思われるかもしれませんが、この病気は脳の障害なので、陽性症状の幻聴を防ぐ手立てはありません。脳がそう錯覚してしまうのですから、意識的に「これは幻聴だ!」と心の中で唱えても、受け止め方を変えるのは容易な事ではありません。

 

誤解を恐れるあまり、人と付き合うのが怖くなる事もあります。身近な人の理解が必要だと思われます。

 

それに、この病気は2人に1人は自ら死を選んでしまう傾向にあるらしく、僕も毎日ヒヤヒヤしながら日々を過ごしています。もうダメだ、限界だ...と思う事も多く、そう思う度に自分を鼓舞して何とか過ごしています。

 

そこで、思うのが、地獄でもいいじゃん、と言う事。

 

ただでさえこの世界は住心地が悪く、居場所がありません。それは、健康な人でもそう思う人もいると思いますが、精神疾患があるとなかなか現状を肯定したり、受け入れると言うのが難しいです。

 

規則やルールに縛られ、窮屈な思いをする事もしばしば。

 

それでも、この世界で生きていく為に何が必要なのかをもっとじっくり考えるべきです。考えたフリでは、何も解決しません。

 

地獄でもいい、と思うのは、やはり今を生きるだけでも人はかなり心をすり減らして生きてるからです。今よりもいい暮らし、良い職業、いい人間関係。人の欲望は果てしなく、際限なく誰もが追い求めています。

 

しかし、それは叶わない事も多いのです。

 

努力の仕方を間違えていたり、進むべき道を見誤ったり、人は間違いを犯す生き物です。

 

それに、当事者が気づけばいいのですが、なかなか自発的に過ちを正していく事も厳しいです。

 

そこで、僕の考えとして、結論から言うと「努力出来ない人は地獄を受け入れなさい」と言う事です。

 

僕は努力が大嫌いで苦手です。そもそも、夢や目標も特にないので、努力仕様がありません。頑張ればなんとかなる、そう思いつつ怠けてしまうのです。僕みたいに変化を恐れたり、傷つくのが怖いと思う人もいます。そういった人が、生き残るためには、努力する事を諦めて、現状を無理やりでもいいので肯定していくべきだと僕は考えます。

 

難しい事はわかりませんが、全ての人が前向きに考えられる訳ではなく、間違っていると分かっていても、自分の信念を曲げられない人もいます。

 

僕も努力する側の人間だったら良いのですが、なかなか現実は思う通りにはいきません。

 

地獄のような暮らしを毎日続けるのは、とても苦しい事です。じゃあ、頑張ればいいじゃん!夢や目標を見つけて努力すればいいじゃん!とお思いの方もいるかもしれませんが、僕には難しいです。努力すると嫌でも自分自身の弱さと向き合うしかなくなります。結局、楽な方に逃げているだけかもしれません。それでも、努力をするのは怖いのです。こんな意気地なしですみません。

 

僕は今まで、何かと自己肯定感を身につける為に必死で考えてきました。物事の捉え方を工夫したり、嫌な事から逃げ出してばかりの自分を肯定するためです。

 

何度も振り出しに戻りながら、ゆっくり自分のペースで前に進んでいます。そのやり方の方が自分の性に合っていると思いますし、何よりストレスが少ないのです。だから、なるべく自分の生き方ややり方を変えたくはないと思っています。

 

今が最悪なら、きっと後は上がるだけ。地獄のような世界でも、笑って暮らしていくため理解者を大事にしていくべきだと思います。人は孤独では生きていけません。だから、僕は最低限の努力はしてます。がむしゃらに努力する訳ではないけど、今を生きている自分を肯定するには十分な理由であると僕は考えます。

 

一つ誤解のない様に言わせてもらいますと、僕は地獄が好きな訳ではないです。できる事なら天国のような世界で生きていきたいです。しかし、この世界で生きていく為には、辛い選択や別れを避けて通れない時もあります。そこで、いちいち立ち止まってしまったり、迷ってしまわないように地獄に慣れておく必要があります。慣れは恐ろしいですが、自分の身を守るためには致し方ない事です。

 

夢や希望と言った類のものとは縁が無くても、いつかは報われる日が訪れるはず。そうなるように日々必要な努力は欠かせないです。過剰ではない努力、バランスの取れた努力なら、問題はないのではないか?と僕は思います。

 

長くなりましたが、僕の考えはこういった感じです。

 

どんだけ今のあなたが不幸でも、決して諦めないでください。マイペースOK!頑張りすぎず日々を越えていきましょう。

 

ではでは、今日もこの辺で。

 

さいなら〜

 

追記

 

ミスチルのPVがカッコ良かったので、貼り付けておきます。

youtu.be

認めたくない事を認める事で人は強くなると思う

どうも!皆さん、こんばんは!

 

昨日はブログの更新サボってしまい、すみませんでした!!

 

今日はやったりますよ、ええ!!

 

尚平です!!

 

昨日はXの方で暴走して問題発言ばかりして、空リプしてきた輩が何人か居たので6人くらいブロックしてしまいました。

 

リアルでもネットでも相容れない人はいる、と言う事を学んだ、そう思うことにします。

 

今日は事業所一日参加だったのですが、やはり作業中は幻聴が煩わしくて被害妄想も出てしまい大変苦労しました。どうすれば、幻聴を無視できるんだろう?どうすれば、我慢を我慢と思わず、やるべき事に集中できるのだろう?そんな事ばかり考えていました。

 

そこで一つ気付いたのが、頑なに自分を縛っている自己暗示を解けば、人は自由になれるのではないか?と言う事。

 

自分は馬鹿だ、ブサイクだ、性格が悪い、人間として魅力がない、生きてる価値がない。。。

 

上げだしたら切りが無い程の問題点が僕にはあります。

 

今までの僕なら、どこかの熱血漢みたいに「大丈夫!君ならできる!自分を信じて頑張れ!」「止まない雨はない!努力は報われる!人はみな、愛される!」と言うような綺麗事を信じていたでしょう。そして、その独りよがりな善意を周りの人に押し付けて嫌われていました。

 

でも、やはりこの現代社会を生き抜くためには、綺麗事を貫き通す事は必ずしも正しいと言う訳ではありません。どう頑張っても自分の事を認めない人も居ますし、理不尽な嫌悪感をぶつけられる事もあります。それぞれ人の境遇は違っていて、自分の事が好きな人もいれば、嫌いな人も居ます。優秀な人もいれば劣っている人もいるように、千差万別です。

 

じゃあ、優秀な人になれない自分は劣っているから自分の人生はおしまいだ!と悲観的になるしかないのでしょうか?答えは、わかりません。結論を出せる程の判断材料を僕は持ち合わせていません。

 

でも、こんな世知辛い世の中で生き抜く方法の何個かは知っていると思います。

 

一つは、自分の弱さを認めていくこと。弱い自分と向き合うのは、とても精神的に辛いことです。弱点を認められないのは、今の自分に余裕がないから。優れている人間じゃなければ認めてもらえない、そういった強迫観念からか、何かと他者の評価に依存してしまいます。そして、期待に応えられない自分を責めて、「もっと頑張らなきゃ...」と焦り自滅してしまうのです。

 

では、どうすればいいのか。僕の結論としては、弱くてもいいと開き直ること。

 

完璧な人間なんて居ません。皆、多かれ少なかれ弱い部分を持っています。それを隠しているか、さらけ出しているかの違いなのです。

 

自分の弱い部分を認められない理由として、そのプライドの高さも原因なのですが、大抵の人は弱い者に冷たいという現実があるからです。

 

やはり、話が面白い人の方が人気があるように、話がつまらなくて愛想が悪くてネガティブ思考の僕なんかは先ず人から舐められます。そして、冷たく扱われて孤独になります。

 

なぜこのような事が起こるのか。それは、この社会が実力のある強者が働いて回しているからです。

 

弱い。たったそれだけで、この社会にとってはお荷物なのです。これは、この社会から排除された僕だからこそ言える事かもしれません。

 

自分の弱さを認める、今の自分に対する過不足ない正当な評価をしていく。それが大事だと僕は思います。自分は頭が悪いと思うなら、それを認めていくことです。自分は頭が悪いけど、そのことで人間的な魅力が無くなる訳ではない。そうやって、ある意味開き直りのような態度を示す事も大事です。認めるのは、抵抗がありますが、それもほんの僅かな勇気と行動力があれば、持ち直せます。

 

実際、よく人を見下す人は、本当は自分に自信がなくて、自分の事を見下してるのです。ですので、頭の悪い自分も自分の一部として認めて受け入れていく。そして、最終的に一歩一歩成長していく。それでいいのです。

 

成長速度は人によって違います。背が伸びる速度が人によってバラバラなのに、何の努力もせず今すぐ賢くなる、そんなおとぎ話の世界にいてはいけないと僕は思います。

 

弱さを認められない事の方が問題だと僕は思います。弱さを認められず、苦しみながら生活をしていると、いちいち弱点を突いてくる他者に対する憎しみが生まれ、争いの火種になるからです。

 

人も鏡なので、同族嫌悪の場合もあります。他人の中に見たくない自分の姿を見るから、他人も否定したくなってしまうのです。それなら、否定している人に問題があるので、自分が負い目を感じる必要はないはずです。実際問題、人の批判や否定をする人に責任感はありません。どれだけ人を悩ませていても、苦しめていても、責任はとってくれません。

 

なら、自分は劣っている事を素直に認め、別の角度から物事を見ていく必要があります。

 

劣っている=愚図や怠け者、とは限りません。本人の考え次第で改善できる場合もあります。毎日やれるだけの事をやっていれば、多少は自分を認めてあげてもいいと僕は思うのです。それに、人から言われて努力するよりも、自分から進んで努力する方が、精神的苦痛は和らぎます。

 

認めたくない事を認めていく事。それさえ出来れば、人間は生きていてもいいと僕は考えています。やる気なんて待ってても出ないし、誰かが引き出してくれるものでもありません。歩きたい時に歩き、休みたい時に休む。それで目指すべき人生のゴールへと進んで行けばいいのです。少なくとも、僕ら精神疾患の患者にとって、強制はNGです。マイペースに出来ない事は出来ないとハッキリ言える関係性を作る事が対人関係を円滑に進める為には必要だと考えています。

 

長くなり過ぎました。申し訳ありません。

 

最後に、僕の敬愛するロックバンドBUMP OF CHICKENのオンリーロンリーグローリーと言う曲を紹介して幕引きにしたいと思います。20年以上前に作られた曲ですが、夢や目標を探す人の心の応援歌として僕も何度も聴いている曲です。ぜひ聴いてみてください。

 

では、さいなら〜

youtu.be

前向きに生きるって事は別に後ろ向きに生きてる人を否定してるわけではない

どうも!こんばんは!

 

今日の東京は雨が降ったり晴れたり暑かったりで大変でした。

 

尚平です。

 

今朝は早起き出来たので早朝散歩行こう!と思って、外に出てしばらく歩いていたら小雨が降ってきて。近所の公園の裏にある土手を歩いていて、もう引き返せないからそのまま歩くか、といつものコースを歩いていたら、雨が強くなってきてしまい。最終的にずぶ濡れになりながら自宅まで歩いて帰りました。

 

なんでやねん!!と僕は思いました。こんなに髪の毛も服も濡れると、さすがの僕でも凹みました。頭乾かしてご飯食べて、しばらく休んだ後、出かける支度をして事業所へと足を運びました。

 

朝の始まりにこんなやるせない気持ちになるのは、基本的に僕はマイナス思考だと言うことなのかもしれません。

 

前向きに生きる!って口で言うのは簡単ですが、実際の現実では厳しいところがあります。僕は昔からマイナス思考で物事をネガティブに考えやすい人間でした。猜疑心も強く、本気で人を信じた事がありません。

 

でも、こんな自分でも生き抜きたい、生きた証をこの世界に残したいと常々企んでいるので、なんとかプラス思考になれないものかと日々精進してます。

 

脳内お花畑かもしれません。性善説を信じて、そんな妄想を信じてる自分に自惚れて生きています。

 

でも、僕は基本的に平和主義なので事を荒げてまで自分の主張を通したいとは考えてないです。前向きに生きたいと考えてはいるけど、後ろ向きに物事を考えてしまう人を否定する気はさらさらないです。僕だって弱い人間です、後ろ向きな考えに支配されてしまう事だってあります。

 

でも、それでも、前向きに生きたい。あくまで僕の主観ですが、やはり前向きに生きていつも笑顔な人は人から愛されやすいと思いますし、何より人生が楽しいはずです。僕はまだその境地に達していないので、愛想も悪いし面白い事も言えないし人から嫌われてばかりです。

 

でも、それでも、前向きに生きる事で何かしらの結果を残したい。そう考えてます。

 

具体的に何をすれば前向きに生きていると言う事なのかはわかりません。ただ、後ろ向きな考えに支配されているときでも、なるべくポジティブなワードを使いたいと考えています。

 

「雨が降っていて憂鬱だ」と考えていたとしても、恵みの雨だ!とか、雨が降っている景色も風情があっていいもんだ!と変換させたいのです。

 

なかなか普段からマイナス思考な人が、いきなりプラス思考になれ!と言われても難しいと思います。ですので、少しずつ、ネガティブ発言を飲み込む事から始めたいと考えています。あくまでも、僕の考えとして僕自身は前向きに過ごしたいと思ってるだけなので、このブログを読んでる方々に自分の価値観や考えを押し付けるつもりはありません。

 

後ろ向きな人も、ある意味現実主義者なのかも?と思うので、否定はしません。

 

未来がどうなるかなんて考えたくないですけどね、きっと嫌でも向き合わざるを得ないのかもしれません。

 

どんな価値観もあっていい。大事なのは共に歩み寄り、手を差し伸べる事だと思います。難しい理屈とかはわかりませんが、ただ、生きてるだけで人はすごいです。

 

どんな人にも長所、短所がある。楽観や悲観に偏る事なく公正な判断ができるよう僕も精進します。

 

長くなりましたが、今日もここら辺でお開きにしましょう。

 

では、さいなら〜

Water me

おはようございます!

 

みなさん、お元気ですか?

 

僕は朝っぱらから元気です!!

 

尚平です!!

 

まあ、基本的には普段は元気はないんですがね。今日は早起き出来たので、比較的元気だと思います。

 

今、外では雨が降っていて、散歩には行けませんでした。悔しい。

 

仕方ないので、今は、パソコンを開いて文字を入力しています。割とブラインドタッチが出来たり、僕は有能なんですよ。パソコンに興味や関心があれば尚良しだったのですがね。昔から機械は苦手です。スマホもいまいち使いこなせてません。アナログ人間ですね。

 

僕はついさっきLGBTQについて調べていました。いわゆる性的少数者、と言うやつですね。レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダークィアという単語の頭文字をとってそう名付けられたようです。僕は、ゲイではないと自分では思うのですが、女性に対して苦手意識を持っているせいか中々女性を好きになることが出来ません。かと言って、男性も苦手なのです。基本的に人間が苦手なんですよね。

 

僕は性欲は女性に向くのですが、人として好きになれるか否かは別問題です。

 

女性からしても、性的対象にされておきながら、心の中には自分がいないと分かれば気持ち悪いと思うでしょう。僕は、この性格のせいで、沢山傷ついてきました。特に男性には、気持ち悪がられる事も多く、はっきりと言われる事も多く。中性的な性格で男らしくないからか、差別されることも多かったです。

 

人から愛された経験がほとんどないです。かと言って、愛されても、気持ち悪いと拒否反応を起こしてしまいます。ただ、平穏に暮らしたいだけなのですがね。

 

そんなこんなで、性的少数者と言うデリケートな問題に悩んでる僕ですが、自分でも何がなんだかわかりません。本心では、性的少数者であるか否かなんてどうでもよいのです。ただ、人から愛されたいだけなのです。もしくは、自分が人を好きになりたいのです。でも、現実はいつも憎しみと嫌悪、差別に塗れた人生です。苦しい毎日です。

 

ただでさえ精神疾患を抱えていて理解される事が少ないのに、どうして僕ばかりこんなに苦しまなくてはいけないのだろうか?と考える事もしばしば。

 

みんな問題を抱えている、それでも幸せな明日を願っている。

 

そんな事は百も承知ですが、時々わからなくなります。人間に愛する価値はあるのか?と。

 

でも、同じ人間として生まれてきてしまった以上、人を憎んでる場合ではないですよね。いつかは分かりあえるはず、そう信じて自分や他人に挑んでいくしかないと僕はここ最近思います。

 

最後に、僕のおすすめの曲であるBONNIE PINKさんのWater Meの動画を貼っておきます。とても切なくていい曲です。よかったら聴いてみてください。

 

では、ここでお開きにしましょう。

 

さいなら〜

youtu.be

 

暇人の戯言

みなさん、こんばんは!

 

尚平です。

 

今日は寝不足のままブログを更新して、直ぐ仮眠を取ってしまいました。

 

昼頃起きましたが、未だに調子が悪いです。統合失調症の幻聴も酷く、精神的に不安定になってました。(情緒不安定なのはいつもの事ですが)

 

ひたすら音楽を聴いてベッドでゴロゴロ。ベッドの中に居るときは、まるで子どものようにウキウキしてしまいます。もし今の季節が冬だったら、毛布に包まれて横になるのはとても至福の時だと思います。

 

今は、もうあちこちで桜も咲き始め、気温も春らしくなってきました。

 

僕は相変わらずです。心開ける人も少なく、味方になってくれる人も少なく。逆に味方が居なければ、ある意味それはそれで自分は孤独なんだ!って開き直ってしまえたかもしれない。でも、孤独じゃないのも辛いんですよ。他人に容易く干渉されたり、文句が言えないととんだ誤解を招いたり、味方だと思っていた人が敵に変わったり。人間不信にもなりますよ。

 

特に統合失調症は、陽性症状、陰性症状、認知機能障害と症状は分かれているのですが、僕はその中でも特に陽性症状が強く、周りの人の笑い声や罵詈雑言が僕に対して囁かれているかのような錯覚をしてしまいます。幻聴だとわかっていても、脳がそう判断してしまうのです。なかなか健常者の人の理解を得るのは難しいです。

 

ですが、統合失調症は100人に1人なると言われていて、決して珍しい病気ではないのです。

 

でも、それでも理解されない事は多いです。

統合失調症は人の精神を貪り喰らいます。だから、精神疾患なのかもしれません。陽性症状である幻覚・妄想が現れると、どこにも居場所はありません。自分に対する誹謗中傷、悪口、陰口なんでもござれ!みたいな感じです。人の居るところに行けば大体幻聴は聞こえてきます。心はひたすらイジメ抜かれ、傷だらけになります。

 

病歴も長く、今年で9年目です。相変わらず幻聴には苦しめられています。でも、それも言い訳に出来ないのです。ハンディがあるとしても、いずれは働かなくてはならない。そのプレッシャーに身を切るような思いです。

 

孤独だと感じる事も多く、人を信じる事に臆病になってしまいます。でも信じるしかない。ひとりぼっちは寂しいです。

 

愚かな自分を許せず、責めてしまう事もあります。

 

病気じゃなかったら、平和に暮らせたのに、と。

 

でも、元々世間知らずな僕が社会に出たところで役には立たないだろうなあと思います。そのためには、今居るB型事業所で頑張るしかありません。障害者雇用なんて夢のまた夢です。

 

先行きの見えない不透明な未来だから、きっと障害者だけじゃなく健常者も不安でいっぱいだと思います。生きていく先にどんな未来が待っているのか?どうすれば、幸せになれるのか?誰もが考えている事と思います。

 

僕は正直今さえ良ければそれでいいと言う考えなので、あまり危機感はありません。

 

でも、事業所の人間関係で悩む事も多く、夜もなかなか寝付けず、朝も起きられない。そんな日々が続いています。

 

みなさんがもし今の自分が不幸だと考えるなら、子どもの頃に無邪気だったあの頃を思い出して欲しいです。小さな頃は、誰もが愛され、夢や希望に満ち溢れ、未来を疑うことさえなかったはずです。僕はつまりそういう人間でした。

 

大人になった今は、自分には足りないものが多すぎると感じています。やはり、現実と向き合うと、恐れに支配されてしまう事もあるのです。強くなくても、弱くても、生きる事は素晴らしい。そう思えたら、自分の存在も肯定できるでしょう。

 

何度も何度も傷ついて、泣いて、叫んで、笑って。

 

心が生きたいと思えるまで、自分を鍛えるのが人生だと思います。

 

みなさんも辛いことがあるなら、親や兄弟、友人、恋人、パートナーに頼ってみてください。あなたに問題がなければ、大抵の人は助けてくれると思います。やはり、人は助け合って生きていくべきです。僕はそう思います。

 

長くなりましたが、知識や理論で人を支える事も大事だと思いますが、やはり人間は義理や人情で生かされてきたとも思えるので、何が正しいか、間違いかにこだわるより、ひたすら手を差し伸べる。こういった奉仕の精神があった方がいい。

 

いずれは、回り回って自分の徳になるかもしれませんからね。

 

そろそろ、ここでお開きにしましょうかね。

 

ではでは、おやすみなさ〜い!

眠れない夜を越えて

おはようございます。

 

皆さん、お元気ですか?

 

僕は寝不足で少々疲れています。

 

尚平です。

 

昨日は3年ぶりにブログを更新して、少しずつですが、皆さんと文字で、言葉で繋がりたいと思いました。僕は発達障害の影響で、コミュニケーションが不得意な事もあり、XなどのSNSやブログなど文字でコミュニケーションを取る事の方が得意です。口頭のコミュニケーションは、トラブルが起きて誰かと争いになるのが怖いので、苦手です。

 

ですので、普段の僕のことを知る人はこのブログを読んで驚いていることと思います。「こいつ、よく語るなあ」と。普段の僕はとても無口な人見知りです。人付き合いが苦手で愛想も悪く、よく人から嫌われます。

 

たぶん、僕を好きになってくれる人は居ないでしょう。毎日、病魔に侵され傷ついています。

 

最近は睡眠リズムが不安定です。明日の事を考えると、不安で仕方ありません。発狂しそうなほど辛いです。なぜこんなにも辛いのかと言うと、僕は人間のクズだからです。僕は間接的に人を殺めました。言葉で人を傷つけてしまったからです。その過去の出来事が尾を引き、僕は無実だけど罪人なんです。僕の罪は今更償う事はできません。僕を恨んでる人も沢山います。

 

罪を背負うことがこんなにも辛く苦しいものであることを僕は知りませんでした。

 

人間は生まれてから死ぬまで何も罪を背負わない、そんな事はないでしょう。

 

僕は過去の過ち、罪の意識から幸せを遠ざける癖がついてしまいました。あともう少し頑張れば幸せになれる。そんなチャンスも棒に振ってしまうのです。僕は幸せになる資格もないです。人を傷つけるって、本来それくらい罪深い事のはずです。

 

悲しみは尽きず、何度贖罪をしても足りず、ただただ自責の念で悶えています。

 

苦しいのは、僕だけじゃない。そんな綺麗事も僕には響きません。

 

僕は人間のクズです。誰も許してくれる人なんていません。

 

毎日病魔と戦い、自分の身を守るために奔走しています。

 

昨日は、音楽を聴きながらベッドに潜っていたのですが、相変わらず寝付けません。ごめんなさいと言っても許されないでしょう。傷つけられるのは、仕方のないこと。

 

そう簡単に割り切れるほど、潔くもないです。

 

孤独になるのは、きっと僕が悪いんだ。

 

病気は僕にそう思わせようとしてきます。

 

なんだか反省してるんだかしてないんだかわからない文章で申し訳ないです。

 

僕は、人を傷つけすぎた。

 

人の恨みを買いすぎた。

 

自らの命に終わりを定める事すら恐れている。

 

何のために生きてるのか?自分に問いかけてみても、答えは出ません。

 

ごめんなさい、出ません。

 

長くなりました。マイナス思考なのでポジティブな話題を提供できない事が、ただただ心苦しいです。つまらない事しか言えない。ごめんなさい。

 

結局もう朝になりました。Adoさんのドライフラワーを聴きながら、恋愛ってこんな感じなのかな?と疑似恋愛をしてるような錯覚をしてます。

 

Adoさんはいい人だと思う。

 

ドライフラワーは失恋ソングだけど、こんな綺麗な別れ方ができれば、この歌の物語の中の二人も報われると思います。

 

出会いと別れ、それは誰もが通る道。

 

僕も沢山の別れを経験してきました。

 

その度思うのが、僕はなんだかんだ人には恵まれているということ。

 

周りの人の優しさや思いやりに救われてきました。もちろん、嫌いな人もいたけど、そんな事も霞むほどの恵まれた人生でした。

 

障害者になってしまった事は想定外でしたが、それも貴重な経験であると今では思います。

 

結局、今も生きてる。

 

昔から人生のハードルは低い方でした。

 

昔も今も、とりあえず生きよう!そんな感じでぶらぶらと進んできました。高い目標がない分成長速度は遅いですが、その分ストレスも少ないです。

 

こんな自分がどこまでやれるのか、確かめてみたい。

 

そんなことを思います。

 

皆さんも日々様々なことで努力してると思います。頑張る事は、とても賢い選択です。社会で生き抜く為に、歯車になるためには、何かしら頑張らなくてはいけない。頑張ってない人なんていない、というのが僕の持論です。

 

夢も目標も見つけられる人もいれば、見つけられない人もいると思います。僕は後者でした。学生時代から具体的な夢や目標もなく、生きる事で精一杯でした。

 

今の若者に僕が言える事があるとするならば、夢や目標が持てなくても人生に悲観的にならないで欲しい。努力が報われる方法はどんなときも自分を信じる事。躓いても転んでも、何度でも立ち上がれ。自分を変えるのは容易くないけど、不可能でもない。チャレンジ精神を忘れず、成功するまで戦い抜いて欲しいと伝えたい。

 

僕も君も発展途上。苦しくても前を向いて。

 

では、この辺でお開きにしましょう。

 

長くなりすぎました、すみません。

 

ではでは、さいなら〜

 

 

お久しぶり過ぎて何から話せばいいのか僕にはわかりません

どうも、お久しぶりです。

 

3年ぶりですね。

 

尚平です。

 

3年も何をやってたかと言うと、事業所に通っていました。相変わらず病気はなかなか良くならず。心も強くならず。

 

あまり変化はなかったです。僕は馬鹿です。

 

今日は、久しぶりということで、色々と伝えたいことがあるかなーって思ってたけど、何もないですね。記憶がごっそり抜け落ちてて、一昨年なんて何してたんだっけ?的な感じですね。

 

事業所の通所日数は少し増え、今では週4回通所していて、火曜、木曜は一日参加をしています。

 

相変わらず病気はしんどいです。被害妄想が強く、心はいつも血を流しています。

 

傷だらけの心は美しいっていくら思いこもうとしたって、所詮は自己満足の妄想。僕は醜い生き物です。

 

今も昔も変わらないのは、僕は変わってないという事実だけ。

 

多少は成長してるかなーって思ってたって、同じ過ちを繰り返しています。

 

幻聴は、昔よりも酷くなりました。心も弱いままです。

 

では、なぜ僕が今も生きていられるのかと言うと、やはりそれは主治医や訪問看護の看護師さんたちのおかげでしょう。薬は以前より増え、幻聴の猛威も増してきた今、どんなに自分らしく居たい!嫌なことはしたくない!と考えていても、やはり、自分の問題に向き合わざるを得ません。僕は成長したいです。

 

とりあえず、僕は自分の臆病で脆弱な心と向き合う事から始めました。

 

どんだけ辛くても苦しくても助けてくれる人は少ないです。僕は助けを求める事も下手くそなので、何かと抱え込みがちです。本音を口に出すのが怖いのです。どうせまた傷つくだけだと分かってるから。

 

僕が試みた精神の延命措置として、現実を受け止めるということを試してみました。

 

どんだけ理不尽な扱いや不名誉なレッテルを貼られたとしても、所詮幻聴なのだからしょうがない。そう考えるようにしました。どうせ現実と妄想の違いは僕にはわかりませんし、傷ついても慰めてくれる人も少ない以上、真正面から戦いを挑むのは無謀だと判断しました。

 

きっと信じたくない出来事ほど、真実なんだと思います。

 

僕対世界の戦いはまだまだ続きそうです。

 

とりあえず、マイペースに更新できる時に気が向いたらブログを更新しようと考えてます。僕のストレス発散に付き合ってくださる物好きな方がいらっしゃるかわかりません。ですが、少しでも僕のブログを見てくださる方の人生が、何かしらプラスに働くように祈っています。もちろん、飽きて見る気が起きなくても構いません。僕が記述している内容はプライベートな内容か、個人的な思想や考えがほとんどです。面白くなかったら、見なくていい。お互いストレスがかからないように、やっていきましょう。

 

それでは、今日はこの辺で。

 

ではでは、さいなら〜

 

追記

 

最後に僕がおすすめする曲を載せていきます。NiziUのParadiseという曲です。元々、ドラえもんの映画の主題歌だったのですが、歌詞とメロディーが気に入っているので、ぜひ皆さんにもおすすめします。幻想的なメロディーと人類愛に満ちた愛の歌です。

 

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