認めたくない事を認める事で人は強くなると思う

どうも!皆さん、こんばんは!

 

昨日はブログの更新サボってしまい、すみませんでした!!

 

今日はやったりますよ、ええ!!

 

尚平です!!

 

昨日はXの方で暴走して問題発言ばかりして、空リプしてきた輩が何人か居たので6人くらいブロックしてしまいました。

 

リアルでもネットでも相容れない人はいる、と言う事を学んだ、そう思うことにします。

 

今日は事業所一日参加だったのですが、やはり作業中は幻聴が煩わしくて被害妄想も出てしまい大変苦労しました。どうすれば、幻聴を無視できるんだろう?どうすれば、我慢を我慢と思わず、やるべき事に集中できるのだろう?そんな事ばかり考えていました。

 

そこで一つ気付いたのが、頑なに自分を縛っている自己暗示を解けば、人は自由になれるのではないか?と言う事。

 

自分は馬鹿だ、ブサイクだ、性格が悪い、人間として魅力がない、生きてる価値がない。。。

 

上げだしたら切りが無い程の問題点が僕にはあります。

 

今までの僕なら、どこかの熱血漢みたいに「大丈夫!君ならできる!自分を信じて頑張れ!」「止まない雨はない!努力は報われる!人はみな、愛される!」と言うような綺麗事を信じていたでしょう。そして、その独りよがりな善意を周りの人に押し付けて嫌われていました。

 

でも、やはりこの現代社会を生き抜くためには、綺麗事を貫き通す事は必ずしも正しいと言う訳ではありません。どう頑張っても自分の事を認めない人も居ますし、理不尽な嫌悪感をぶつけられる事もあります。それぞれ人の境遇は違っていて、自分の事が好きな人もいれば、嫌いな人も居ます。優秀な人もいれば劣っている人もいるように、千差万別です。

 

じゃあ、優秀な人になれない自分は劣っているから自分の人生はおしまいだ!と悲観的になるしかないのでしょうか?答えは、わかりません。結論を出せる程の判断材料を僕は持ち合わせていません。

 

でも、こんな世知辛い世の中で生き抜く方法の何個かは知っていると思います。

 

一つは、自分の弱さを認めていくこと。弱い自分と向き合うのは、とても精神的に辛いことです。弱点を認められないのは、今の自分に余裕がないから。優れている人間じゃなければ認めてもらえない、そういった強迫観念からか、何かと他者の評価に依存してしまいます。そして、期待に応えられない自分を責めて、「もっと頑張らなきゃ...」と焦り自滅してしまうのです。

 

では、どうすればいいのか。僕の結論としては、弱くてもいいと開き直ること。

 

完璧な人間なんて居ません。皆、多かれ少なかれ弱い部分を持っています。それを隠しているか、さらけ出しているかの違いなのです。

 

自分の弱い部分を認められない理由として、そのプライドの高さも原因なのですが、大抵の人は弱い者に冷たいという現実があるからです。

 

やはり、話が面白い人の方が人気があるように、話がつまらなくて愛想が悪くてネガティブ思考の僕なんかは先ず人から舐められます。そして、冷たく扱われて孤独になります。

 

なぜこのような事が起こるのか。それは、この社会が実力のある強者が働いて回しているからです。

 

弱い。たったそれだけで、この社会にとってはお荷物なのです。これは、この社会から排除された僕だからこそ言える事かもしれません。

 

自分の弱さを認める、今の自分に対する過不足ない正当な評価をしていく。それが大事だと僕は思います。自分は頭が悪いと思うなら、それを認めていくことです。自分は頭が悪いけど、そのことで人間的な魅力が無くなる訳ではない。そうやって、ある意味開き直りのような態度を示す事も大事です。認めるのは、抵抗がありますが、それもほんの僅かな勇気と行動力があれば、持ち直せます。

 

実際、よく人を見下す人は、本当は自分に自信がなくて、自分の事を見下してるのです。ですので、頭の悪い自分も自分の一部として認めて受け入れていく。そして、最終的に一歩一歩成長していく。それでいいのです。

 

成長速度は人によって違います。背が伸びる速度が人によってバラバラなのに、何の努力もせず今すぐ賢くなる、そんなおとぎ話の世界にいてはいけないと僕は思います。

 

弱さを認められない事の方が問題だと僕は思います。弱さを認められず、苦しみながら生活をしていると、いちいち弱点を突いてくる他者に対する憎しみが生まれ、争いの火種になるからです。

 

人も鏡なので、同族嫌悪の場合もあります。他人の中に見たくない自分の姿を見るから、他人も否定したくなってしまうのです。それなら、否定している人に問題があるので、自分が負い目を感じる必要はないはずです。実際問題、人の批判や否定をする人に責任感はありません。どれだけ人を悩ませていても、苦しめていても、責任はとってくれません。

 

なら、自分は劣っている事を素直に認め、別の角度から物事を見ていく必要があります。

 

劣っている=愚図や怠け者、とは限りません。本人の考え次第で改善できる場合もあります。毎日やれるだけの事をやっていれば、多少は自分を認めてあげてもいいと僕は思うのです。それに、人から言われて努力するよりも、自分から進んで努力する方が、精神的苦痛は和らぎます。

 

認めたくない事を認めていく事。それさえ出来れば、人間は生きていてもいいと僕は考えています。やる気なんて待ってても出ないし、誰かが引き出してくれるものでもありません。歩きたい時に歩き、休みたい時に休む。それで目指すべき人生のゴールへと進んで行けばいいのです。少なくとも、僕ら精神疾患の患者にとって、強制はNGです。マイペースに出来ない事は出来ないとハッキリ言える関係性を作る事が対人関係を円滑に進める為には必要だと考えています。

 

長くなり過ぎました。申し訳ありません。

 

最後に、僕の敬愛するロックバンドBUMP OF CHICKENのオンリーロンリーグローリーと言う曲を紹介して幕引きにしたいと思います。20年以上前に作られた曲ですが、夢や目標を探す人の心の応援歌として僕も何度も聴いている曲です。ぜひ聴いてみてください。

 

では、さいなら〜

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