楽しいことを考えよう

皆さん、こんばんは!

 

昨日は疲労困憊でブログ記事かけなくてすみませんでした。

 

今日も眠いですが、頑張って書きますね。

 

尚平です!

 

昨日は、姉と「名探偵コナン100万ドルの五稜星(みちしるべ)」という映画を観に行ってきました。コナンシリーズ史上一番難解な事件だなと思いました。犯人が全く見当がつきませんでした。ネタバレになるので、これ以上の報告はやめにしときます。

 

いやー、でも、アニメらしい演出もあって、大変面白かったです。aikoさんの相思相愛と言うエンディング曲も良かった!

 

とまあ、楽しんだ後は、睡魔がどっと襲ってきて自室のベッドでバタンキュー。あまりにも眠すぎて、仮眠を取ってしまいました。

 

夜に目が覚めて、風呂に入ろうとするとき、幻覚妄想が現れて、「何もしていない(お前は)」みたいな言葉が聞こえてきてしまったのです。僕は大変深く傷つき、悩みました。確かに疲れてほとんど何もせずに寝て起きてしまったけど、事業所には頑張って行ったし、今日はスケジュール的に出来る事は殆どないと考えていたので、元々なにかする予定はなかったのです。それなのに、僕の行動や思考をあざ笑うかのような幻聴が聞こえてきて、大変苦しみました。

 

幻聴の言う事はシカトしろ、言うことを聞くなと主治医からは言われていたので、主治医を言い訳にしてなんとか責任回避しましたが、こういった幻聴が聞こえてくると、毎回ではありませんが成す術なく自分を責めてしまうのです。

 

自分が無能だから悪い、自分が馬鹿だから、自分が自分が、、、、みたいな感じで負のループに陥ってしまうのです。もちろん、悩んでる間は楽しくないし苦しいことばかりです。昨日も風呂の中ずっとぐるぐると悩んでました。気が狂いそうな時間でした。

 

幻聴は意地が悪いので、自分が言われたくない事ばかり突いてきます。人を傷つける事に何の抵抗もないのです。良心の呵責もなく、ただただ人の不幸を面白がるかのような嘲笑を続けてくるので、毎回怒りが爆発しそうになるのを必死になだめています。

 

こんなにも苦しいなら、いっそ消えた方が、、、、なんて考えが頭をよぎります。希死念慮と言うやつですね。病気の人が症状によって本来の自分の意思とは反した願望(自殺願望)を持つことを言います。僕は普段は冷静に過ごしているのですが、幻聴が聞こえてくると、極稀に希死念慮に襲われる事があります。極稀なので大丈夫、ではないのです。

基本的にスタートである価値観が、自分は無価値だ、死んだほうがいい人間だ、と言う厭世観から始まっているので、幻聴に弱点を突かれるだけで絶望的な気持ちになります。心が繊細なのです。自分で言うのもなんですが、かなりメンタルは弱い方だと思います。誰かの些細な一言が忘れられなかったり、傷ついて夜なかなか眠れなかったり様々です。残念ですが、心は強くならないまま大人になってしまいました。傷つく度に自分の無力さに嫌気がさします。

 

そこで、病気になった時から僕が心がけていることがあります。

 

それは、なるべくポジティブでいよう!と言うことです。

 

僕は病気になる前から物凄くマイナス思考な人間でした。ほぼ毎日死にたい、死にたいと鬱々と考え、高校生の頃に些細な事で学校に行けなくなった時は、もういっそこの世界から消え去って存在を無かった事にしたい。親に申し訳ない、とぐるぐると考えてしまう人間でした。

 

でも、やはりそんなマイナス思考な人間の周りに人が寄ってくるはずもなく、僕はいつも孤独でした。

 

でも、考えました。

 

ポジティブに生きて人生を楽しんだ者が最終的に勝利するのではないか?と

 

そこで、僕はなるべく考えを変えてみようと思いました。

 

誰かに嫌われてるかも?傷つけてしまったんじゃ?誤解を与えてしまったんじゃないか?と最初はあれこれ考えましたが、結局細かい事に気づくのって、見栄を張りたいだけなんですよね。確かに、人から愛される事も素晴らしい事だし、誇るべき長所になりえます。でも、そんな繊細過ぎる生き方は自分の負担になりますし、何より自信過剰です。人間誰しも配慮が行き届かなかったり、要らぬ誤解を与えてしまう事もあります。そこで、完全無欠の完璧で理想的な人間像を求めるあまり、自分自身が重い重責を担い苦しむのは、本末転倒です。

 

人間ならもっと自由に生きてみて良いと思います。人に気を使いすぎて傷だらけになるよりは、もっとのびのびと自由に生きてみたい。僕ならそう考えます。今直ぐにやり方を変えるなんてそもそも無理な話です。理想を他人に押し付けない、それも大事です。

 

病気になって分かった事がありますが、働きたくても働けない人がいると言う事。病気の影響で本来発揮出来たはずの自分の能力を最大限に活かせない人が居ると言うことです。

 

僕は別に頭が特に良いと言う訳ではありませんが、向上心は人並みに持っていたと過去を回想してそう思います。ですが、障害者になると、よくあることかもしれませんが、差別や偏見に苦しめられる事も多いです。誹謗中傷を受けたり、理不尽で不当な扱いを受ける事もしばしば。誰も望んで障害者になってしまった訳ではないのになあと思うのですが、世間は冷たいです。

 

でも、学生時代には感じなかった事を今は感じています。それは、どこの世界でも、人間は本当の意味で孤独になることはないんだなと言う事です。

 

孤独は誰だって辛いです。孤独でも平気だと言う人は、精神的に強い人なんでしょう。群れを嫌い、束縛を嫌う一匹狼タイプなら良いと思いますが、僕みたいに意気地がなく、依存心が強く、寂しがり屋の人間には孤独は辛いです。

 

でも、かといって虐められたり仲間外れにされたい訳でもなく。どこにも居場所がない、、、と思うこともあります。しかし、どんなに周りが敵だらけでも、嫌いな人だらけでも、ある意味その人達とも僕らはなんらかしかの縁が合って過ごしている。そう考えれば、些細な落ち度とか欠点も大目に見てあげよう!と言う優しい気持ちになります。

 

相変わらず、幻聴にはいじめられてばかりです。幻聴の嫌いなところは、コイツは皆から虐められてるから、自分が虐めても大して責められはしないだろう、、、と調子に乗ってる所です。人を何だと思っているんでしょうか?お前らのストレス解消の道具じゃねえんだよバカヤロー!!と心の中で叫んでます。

 

話がズレて申し訳ありません。

 

僕は一人になりたいと思うことがよくあります。病気の症状で部屋に盗聴器が仕掛けられている、監視されていると言う妄想があるので、僕にはプライバシーがありません。だからと言う訳ではありませんが、僕はどんなに孤独になりたい!と望んでもどう頑張っても孤独になれないのです。本当に辛いです。でも、たまに嬉しいと思う時もあります。幻聴も邪魔なだけじゃないんだなと。

 

話は戻りますが、僕は病気を発症して、自分と同じような事に苦しんでたり、悩んでる人を見つけました。その人達からも嫌われる事は多いですが、嫌われ者だからと言って生きててはいけないという決まりはどこにもありません。恨まれてたら命を脅かされる危険性はありますがね。僕は、その似た人たちに勝手に勇気づけられています。皆、歳を取る度に心に傷を負っていきます。癒せる傷もあれば、一生忘れられない深い傷を背負う事もあるでしょう。でも、そんな時でも、自分だけが貧乏くじを引いたと皆さんには思ってほしくないです。

 

出来ることなら、生きることを諦めず、必死に生きていてほしいです。

 

生きているだけで皆凄いです。頑張っているなら尚良し。

 

どちらにせよ、何かしら前向きに頑張ってないと人は生きていけません。ある人は親のスネをかじり、ある人は生活保護を不正受給し、ある人は犯罪を犯して刑務所に服役している人もいるでしょう。極論を言ってしまえば、それでもいいと僕は思います。自分が生き残る為に最大限頑張るのが、動物としての本能です。ただただ皆さんには生き抜いて欲しい。

 

そこで大事なのが、困った時は誰かに助けを求める事。これは人によりますが、僕は悩み事や隠し事を長期間出来るタイプではないので、誰かしらに真実を話しています。

 

次に大事なのは、親を大事にすること。親ガチャとか巷では言われていますが、こういった差別は僕は嫌いです。親が僕にとって一番の理解者であった事もあり、僕は親に感謝しています。親にこの気持ちは届いているのかわかりませんが、僕は親を大事にして、共に支え合い、生きていきたいと考えています。

 

最後に大事なのは、好奇心やチャレンジ精神を忘れない事。何事も学びがあり、何事も挑戦する価値がある。そう信じて頑張っている人はとても輝いて見えますし、何より人として尊敬出来ます。言葉が不器用になる事もありますが、僕はそういった人たちを支持したいです。

 

楽しい事を考えられない、そう考えてしまう人もいるでしょう。それもしょうがないです。あまり明るくない時代ですからね。でも、そんな時代でも、自分の信念をブレずに突き通せばいいのです。僕も長々と文章を綴っていますが、マイナス思考が必ずしも悪い事ではないと考えています。あれこれ先の事を考えるから、未来で失敗せず、恥をかく醜態を晒さずに済んでいるのかもしれませんしね。悪いことばかりではないです。

 

あくまで一意見なのですが、と言うか僕の都合で考えさせてもらうと、やはり楽しい事を考えて生きてみたいと言うのが本音です。

 

悲しい事はこの世界では尽きません。止まない雨もあるし、戦争もいつ起きるかわかりません。そんな不安定な世界で生き残る事、それが僕のテーマです。命をかけてこの世界を守る!!という大それた野望はありません。ただただ前向きに生きて、最期はポックリ死にたい。そういった普通の人生に強く憧れます。

 

楽しいこと、それは人によってそれぞれだと思います。多様性の時代ですから、皆前向きに認めあえたら良いのではないでしょうか?僕は、人を認めて、許して、笑い合う。そんな日常を送りたいと常日頃から願っています。

 

長くなりましたが、ここでお開きにします。

 

皆さんも自分自身を信じてください。自分という人間しかあなたを救ってくれる人はいないのですから。

 

では、さいなら〜